喪中の存在意義を痛感している2021年

2021年が終わり、2022年が始まろうとしています。

今年を振り返らそうとするTwitter、配信、テレビなどなど。

「2021年」という単語を聞くだけでなかったことにしたいと思う一年でした。もちろん楽しいことも、いいこともあったし、なかったことには絶対ならない前提があるからそんなこと言えるのですが。

オリンピック期間中に友人が他界し、パラリンピック開催期間中に父の訃報を知り。年末にお世話になった叔母様がなくなり。こんなに?こんなことってある??

という一年でした。静岡に帰る機会も多かったので母や親戚にたくさん会えたのは嬉しかったですが。

 

昨日、大掃除していたら、ミッキーのピンズがカバンの隅から出てきまして。ああ、これ、ばんこと一緒に行ったディズニーで、ボールを転がして、先の丸にいれるというゲームに挑戦した時の参加賞でもらったやつだ。。と思い出して、そこから、彼女の笑顔や言葉をたくさん思い出してしまい、また涙腺がバクってる年末です。目が痛い。。

 

喪中のため新年の挨拶ご遠慮します的な儀式があります。これまで正直ピンときてなかったのですが、辛かった一年をわざわざ思い出させる年末年始。痛みを共有している家族だけで過ごせる配慮は、温かい気遣いですね。

辛かったことは思い出したくない、でも忘れたくない。

喪に服す期間が決められているけど、故人を偲んで喪に服さなければならないのではなく、その期間でなんとか日常生活を送れるように整える期間だったのかなと今なら思います。ほっとくといつまででも喪に服してしまうから、期間を決めたのかな。わからないけど。

そして、年末年始は浮き足立つ世の中から少し離れてないと、また心が落ちてしまうので、ひっそりと慎ましく。

あ、でも年始は、初詣に行きます。今年は、コロナだったし初詣行かなかったんですよ。そしたらこんなことになってしまい、別に神様信じてるとか初詣信じてるとかじゃないですけど、いこうと思っています。ひっそりと。

本当は喪中の時ってダメなのかもしれませんが。ちょっと調べたらあまり良くないと思う人もいるみたいですね。

三ヶ日は外してひっそりといこうかな。

 

 

そんなわけで、2022年になりました。今年は楽しい一年になりますように。

Diary

Posted by chinacky★