日本vsオーストラリア

2011 年 1 月 30 日

ハーフタイムです。日本対オーストラリアの決勝戦。

twitterのTLを見ていたら、多分日本韓国戦との比較だと思うんだけど、日本vsオーストラリアは歴史的なものとかなくて純粋にサッカーを楽しめる的なツイートがありました。
それに強烈に違和感を覚えました。

第二次世界大戦でオーストラリアは日本軍によって唯一本土爆撃を受けました。

義務教育+高校を卒業していますが私は恥ずかしながらこの事実を知りませんでした。
留学前に、AUSについて勉強していく中でその事を知ったように思います。でも、本の中で読んだだけでさほどの実感はなかったのですが、AUSの首都キャンベラに行った時に、戦争博物館に行って感じることがありました。


●キャンベラについて
キャンベラは、シドニーとメルボルンのちょうど中間にあり、双方が首都を希望し、譲ることなく、なぜかまん中にあるキャンベラが首都になりました。小さな町なので、首都になることが決まって、あわてていろいろな建造物などを作った街と聞いています。

●キャンベラの戦争博物館
そんなキャンベラにある戦争博物館もとても近代的でした。映像や音響、照明を駆使した戦争博物館でした。

そこに行った時、ま、日本人の友達と一緒に動いていたのですが、比較的日常的に英語を使っていて、博物館の中でも、英語のツアーにこっそりついって行って説明を聞いたりしていました。
そんな感じで「英語脳」になっているにもかかわらず、

「標的確認。先方2機。攻撃します」

的な(すいません。正確には覚えていません)アナウンスが日本語で聞こえて、

「バリバリバリ!」
という大きな音と瞬く照明。目の前のスクリーンでAUSが日本に攻撃されていました。

かなり衝撃的でした。

とりあえず、日本語喋るのやめてしまったの覚えています。周りの人に日本人と思われたくなかったのかもしれません。
とにかく、胸が痛みました。周りの目も怖く感じました。

原爆ドームで涙を流している外国の方を見たことがあったのですがその気持ちがわかった気がしました。


●戦争教育
日本が攻撃を受けた事は、教育の中で勉強します。
その事実を教えない国があると「ひどい。」「歴史はちゃんと伝えるべき」と思ったりします。

その全く逆の事が起こっている事もショックでした。いろいろショックでした。

オーストラリア本土に攻め込んだ唯一の国が日本だと知らない日本人も多いと思います。
オーストラリアはイギリスの植民地だから、イギリスが攻め込んだとかやんわり思っている人もいるかもしれません。

私は、帰国してから、AUSに留学するという人に、キャンベラに行って戦争博物館に行って欲しいととりあえず伝えています。
私の話しを聞いてからなので、私が受けた衝撃ほどの衝撃はないかもしれませんが。。無知って怖い。
確かにキャンベラは小さくて見るものも少なく、近代的すぎて見るものは少ないかもしれないけど、濃かったと思います。

それ以来、廻った土地で、戦争記念碑に必ず寄るようになりました。
何が変わるわけでもないけど、過去日本人によって殺された人たちの名前をみました。


●Anzac Day
オーストラリアとニュージーランドにある日です。

Anzac
ANZACは、Australia and New Zealand Army Corps.の略で、ガリポリの戦いに参加した兵士達はANZACsと呼ばれ1916年に正式に4月25日がANZAC DAYとされるようになった。
wikipedia

4月25日です。
私が留学していた時はそんなことなかったのですが、メルボルンでお世話になった日本食レストラン「たんぽぽ」のボスがAUSに来た時は、本当に生卵ぶつけられたり、
日本食屋開けていると、ガラスを割られたりしたそうです。
だからお店をその日は休みにして、家でひっそりとしていたころもあったそうです。

今(といっても、私が向こうにいた時だから8年くらい前だけど)はそんなこともないし、日本は大切な貿易国だし、QueensLandでは(他でもあるかもですが)小学校で日本語の授業がある場所もありました。


●ワーキングホリデー
ワーキングホリデーは国際交流です。
なので、いろいろ見て回れるように、3カ月以上同じ場所で働いてはいけないとか学校も3カ月以上NGとか私が行っていた時はありました(今は調べていないのでわかりません)
だから、こういう、向こうで感じた事などを、日本に帰ってきて伝えることも役割だと思っています。

この話も過去何度かしていて、実際向こうにいた時も、日本の友人に向けたメルマガを書いていたので、それを読んだ母が、この件について、本で調べて勉強したそうです。
嬉しかったな。懸け橋になれた気がしてa-01.gif